


修羅場で森田が銀さんに「鳴け!鳴いて蔵前に引かせろ!」ってタメ口命令形使ったのサイコーすぎて2年に1回のペースでこの話してしまう。あと銀さんにお茶を入れさせて自分はスウェットのまま丸いお菓子食べて何も感じてない森田。銀さんも別に全然なのがいい。森田に召使いになってほしいわけじゃないもんね。むしろこういうところを好ましく感じてるのかもとすら思う。だとしても森田の豪胆さすごすぎて笑う。大好き。#福本作品
ひろも結構赤木さんにめちゃくちゃ言ってる印象ある。モノローグ含めて。まず「俺に口添えしてください」が赤木さんの使い方として贅沢すぎて最高。あと勝負の場での赤木さんはガチ尊敬してるけど、フグ差しのくだりなどでは(わがままな人だな…)くらいのテンションも感じられるのが好き。
どちらも、この世で最も尊敬する人だけど、盲従はしていないというか、自分の頭で考え続けてるのと、媚びがなさすぎるせいで、ふてぶてしく見えるのかも。
そうか…自分の頭で考え、盲従はしていなかったからこそ最後は離別してしまうんだな🥲でも、そういう子だからこそ気に入ったんだから、どうしようもないよ。畳む

信一傳の「爸爸」のくだりでいいんですね!?そういうことで!!!とはなった。
映画本編では全くそういうワードは出てないけど、2人の成り行きとかわからない状態でなお(この男…愛されて育ってねーか!?)と思わせたのが強すぎる。演技の巧みさというのか、脚本なのか演出なのか、なんなのか。
2人が会話してるシーンそんなに多いわけじゃないのに不思議だ。距離感の描き方がすごい上手かったのかな。眼鏡外してあげるシーンの静かな優しい親密表現はもちろんだし、カラオケ屋さんになる♪のところでもかなり出た気する。これからも一緒にいることを微塵も疑わないし、これを勝手に考えて勝手に言ってるであろうことがすごく良くて…ボスを敬愛はすれど全く恐れてないんだなという違和感。が端々にあった気がする。あと基本タメ語なのもあるか。「ボスと部下」では説明しきれないものをビシャビシャに浴びせられた。匂わせだけで理解らせてくる。純度が高すぎる。畳む

というわけで、7月12日はトワ信龍親子、13日はSD洋花洋でサークル参加します。私のゴールデンウィークはこれからだ!どちらも新刊なので間に合うか恐怖もあるけど、絶対に間に合わせる。ドキドキ。
頒布や通販についてお問い合わせを頂いてるのですが、まだ何も決めていないので、もう少しお待ち頂ければと思います!楽しみにしてもらえて嬉しいです🫶


たまに絵柄について言及していただくことがある。(嬉しいです🧡)私は自分の絵柄の特徴がわからない。特徴があると思ったことがない。自分の絵が基準値というか、真ん中、プレーン、デフォルト状態、初期装備…的に感じている。人の絵の特徴はわかる!
線が簡単というかザックリしてるなーとは思う。もう少し線密な情感のある絵が描きたい。背景もちゃんと描けるようになりたい。靴とかも苦手だし。一発で正解の線が引けるようになりたい。練習だ✊

勘で作った酢豚を食べた。美味しかった。確実に酢豚ではなかったけど、クックドゥーの酢豚の素がおいしかったからなんとかなった。持つべきものはクックドゥー。
最近は黒豆茶にハマってる。美味しすぎる。きなこみたいな香りで、甘いもの欲も少し満たされる。最近あずきへの想いの高まりもあり…全体的に豆に飢えてる可能性がある。豆乳も好き。納豆も好き。
お風呂に入る前のリングフィットが楽しみになってきた!モモアゲアゲが1番好き。何故か自然に笑顔になる。体を動かして汗をかくと、善い行いをしていると本能的に感じて嬉しい。肩こりも心なしか和らいだ気がする。あとやってるときめちゃくちゃ褒めてくれるの助かる。ゲームって、すごい褒めてくれるよな…。ちょっとした動作で報酬を感じられる仕組みがあるというか。すごい。畳む

元気になると、ちゃんと体調悪かったんだなってわかるからいい。すごく怠惰な気持ちになって、寝てばっかで、だらけたいだけなんじゃ……と不安だった。全然体調が悪かった。畳む



愛されないことが悪を生むというのがある程度マジである以上、綺麗事ではなく、切迫した現実として、必要なのは愛だけなんだって思う。
愛の価値が高すぎることが、この世の不平等、残酷さを物語っている。愛はそんなにありふれたものではなく、全ての人間が十分享受することはできなくて、与えられなかったり、与えられても受け取れなかったり、色々難しいことがある。みんな欠落し、みんな傷ついているので、そうなってしまう。愛さえあれば…。#愛について 畳む

コマ割りと台詞だけやって放置してある漫画がたくさんあるんだけど、時間経つとどんな絵を入れようとしてたのか部分的に忘れてしまう。簡単でいいからラフもセットで入れておかないと。
長時間絵描いてるとえげつないくらい首・肩が凝る。昔からこう…みんなどうしてるんだろ?助けてくれ。iPadから板タブに戻そうか検討している。4−5年前までは板で描いていた。板の方が首肩への負担は低いと思う。ただし描きやすさはiPadのほうが上…。液タブは使ったことない。首を救いたい。#原稿

剪定に成功してから抵抗感がなくなり、お前たちのためなんやで…と言いつつ普通にカットできるようになった。観賞用トウガラシ、一年草だからもうだめかな〜と思いつつ惰性で水やりしていたら、奥から明るい緑の葉っぱが見えて、生きてる〜!!てなった。今年もよろしく。

↓最近買ったテーブルヤシ。影の形までかわいい。330円で買えるものの中で一番かわいい。



繊細であることって攻撃性の高さにも繋がることをすごく感じていて、気をつけようと思っている。ここが善の繊細人間・悪の繊細人間の分かれ道かもしれない。敏感さから被害妄想的になって周りを攻撃したり、自分でケアできなかった感情を他人にぶつけて、無自覚ケアされ待ちする人をよく見てきた。自分にも似た気質があるから、反面教師だなーと思った。
小さなことで感情が波打っても、誰かにぶつけさえしなければ、ないのと同じで、良い人間でいられる。私は善の繊細人間を目指すのだ。
でも、繊細さから来る攻撃性を、自分に向けて自滅してしまうパターンもあると思う。他人に向けないのはえらいけど、それだけでも難しくて、正しい処理をする訓練をしないといけない気がする。適切なやり方で人に頼るか、自分でケアの方法をたくさん持っておく。
他人との境界線を守る強さ。自分で自分のケツを持つ強さ。善の繊細人間の最も高みにあるのが、強(つよ)の繊細人間なのかもしれない。やはり、目指すか、強(つよ)の繊細人間を…。生涯の目標にしてもいいかも。畳む


人を壊すのは怒りでも悲しみでもなくさみしさで、それは社会的動物だからなのかな。個として生まれたのに、庇護されなければ(愛されなければ)育つことができない、進化上の欠陥のせいなのか。
ともかく、人と繋がるように仕組まれている本能がある。どれだけ個として存在していたくても「さみしい」という精神面での本能が、食欲や睡眠欲のように存在していて、ある程度それに従わざるを得ない。
怒りは2次感情という話があるけど、それで言うとさみしさは0次感情だと思う。
さみしいという本能を抱えてる人類にとって「完全な愛」という幻想はとんでもなく魅力的な響きを持っている。完全な愛っていう存在しないものを、ドーナツの穴のようなものを求めて、そのフチをぐるぐる回ってる、さみしいの呪縛がある。
存在しない完全な愛ではなく、不完全だけど存在する愛の断片を、笑って受け取ったり渡したりできるようにならないといけない気がする。傷ついたり傷つけられたりすることを、許したり許されたりする…果てしなく大変。#愛について畳む