
迷路が絵映えするけど、時計やってから迷路ってことないよな?そしたらもうなんでもあり得る気がしてきて…。別にいいか?そこの順番くらい。
奥智哉さんのお顔立ちが私の想像上の中也くんに似てることに気付いてしまった。大きいが華美すぎない清楚な奥二重の目…幼さを残しつつもキリリと硬質な肌とフェイスライン…このむずいバランス。
玄児さんの俳優さんは1ミリも想像つかない。玄児さんて幻すぎる。めちゃくちゃ人間らしい人なのに。なんか存在として確定してほしくない(?)
pixivにまとめてないファンアート2枚↓
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以下しおしお日記。
その場ではがんばって笑顔で合わせて、うまくやり過ごせたと思ったけど、やっぱりあれはつらかった、無理だったって気持ちがじわじわ溢れてきて1日経ってから泣いてしまった。尊重されてないってきちんと気付いたらもうダメだ。どんなに空気悪くしても、次は避けていいからね。あと少しの辛抱だ。つらかったね。畳む

ただ、やっぱり生命の発生にも、生きて増やしたいという本能にも、本当に意味らしきものはなくて、そもそも「意味」自体人間が発明した概念なんだろうと思わされた。#考えごと
私たちはなぜ存在しているの?という問い自体が生存者バイアスみたい。ただ自分をコピーできるやつが偶然発生して、それは残りやすいから残って、更に残りやすさを獲得していっただけ。残りにくい性質をもつものは残りにくいから消えていっただけ。
誰かが設計したわけでも、目的があったわけでもなく、私たちが生きて世代を繋いだ先にゴールがあるわけでももちろんない。
特に何もない。
ただ偶然はじまったドミノ倒しの先に今があるだけ。
人間が因果関係を見つけたり、未来を予測したりする能力を身につけたのは生存に役立ったが、その力が発達しすぎて、意味を発見し、意味を創作することに執心しはじめた。
いまや人間は「意味がない」ということに耐えられない。意味がないっていうのは心がさみしなる。見捨てられたような虚しい気持ちになる。
意味中毒の人間は、本来意味のない生を生きるためにオリジナルの意味を創作しないといけなくなった。生を引き受けるための意味。そこに手っ取り早く意味を与えてくれるツールとして宗教があるのかも。
意味とは物語だから、物語を求める心に人間らしさをかんじる。小さい頃からお話が好き。
どうやって?に比べると、なぜ?は人間的すぎる問い。畳む